『「携帯電話的人間」とは何か』 浅羽通明(著・編) 別冊宝島 評価A 再読AA

 <概要>
 80年代末〜90年代初期の精神を分析した『天使の王国』の続編として読める、90年代後期の精神の分析。焦点を当てられているのはタイトル通り、携帯電話。どこか、宮台を思わせるようなモバイル・トライブ系と引きこもり系の二つの分類とか。諸インタビューとか。

 <感想>
 面白いのは浅羽通明の基本だとしても、それ以上に、なんだかなぁ、と唸らされる感じ。
 上にも書いたモバイルトライブと引きこもり系――だったかな、要するに、携帯電話で常に馴れ合っている孤独を知らない人々と、孤独に離れているけれども、携帯で馴れ合えない人々――という分類がなんだか胸に突き刺さった。
 『教養論ノート』、もっと言えば『天使の王国』以来多用されている、柳田國男のアナロジーとして、本を読むこと=心の内奥への引きこもりっつーのと携帯の人々というのが対比させてかかれていたわけで、それと現在の俺のちょっと馴染めねぇなぁという構図が見事に当てはまったわけで。
 うがー。
 人種が違うんか!? 諦めるしかないのか!?

 うーん。馴染む必要とかから再検討する必要があるんだろうが、まずそこを再検討しようという時点で完全にちがうんだろうなぁ、あっちからは。この本をそのまま信じるとするなら、だが。
 あちゃぁ。
 困ったなぁ……。まぁ、素で信じるのはあほらしいことだろうが、なんか大筋では間違ってない気がしちゃうんだよなぁ……。