『自由な新世紀・不自由なあなた』宮台真司 メディアファクトリー 評価A 再読A

 <概要>
 世直しモードの総決算としてかかれた本。
 前半は様々な質問を通して、意味から強度へと移行するにはどうすればいいのか、とか色々書かれている。
 後半は様々な論述をちょくちょく。リベラリズムの立場が鮮明な記述が多い。

 <感想>
 改めて読んで思ったのは宮台の頭のよさ。とゆーか、コイツは何でこんなに鮮明に論理を記述できるんだろうか。なんだか誤魔化されている気がほとんどしない。すげー。
 意味→強度――というのは、この時期にはまだまだ受け入れにくかったのかもしれないけれども、今の自分から見ると「あー、そんなもんかもなぁ」とか思う。ますます社会の不透明化が進んだせいだろうか。それとも不況が進んだせいだろうか。
 大きな物語はもうないのかなぁ、とおもうとちょっぴり寂しくもあるのだけれども。
 ――まぁ、かといって意味を全否定できるほど俺は離脱しているわけでもないよなぁ、とか思う。立身出世、仕事マンセーっ! とまではいかないものの、色々と無茶なことをするさいにはある種の物語には憧れている気がする。ていうか、それは物語じゃないのだろうか。いまいちそこらへんはわかんねー。
 リベラリズム、それの裏返しである島宇宙化という考えは確かにいいかもなーと思った。現状にあっている気がする。この立場から見ると、浅羽通明の立場は、「どんな立場でも選べる中で、知のおたくという立場を選んだままで、そこからどう良い生き方をする」というルートになるのだろうか。――ならないか。「知のおたく」という島宇宙のままでは世間とつながれず、教養は死んだまま、人間疎外のまま、だからそれを乗り越えよう、という考えっぽいからなぁ。
 基本的に、浅羽と宮台は一番自分が好きな著述家だから、この対立を見極めるのはかなりの効果があると思うのだけれど、まず宮台をもっと読まんとなぁ。
 とりあえず、グランドセオリーの宮台と、ボトムアップの知型の浅羽という教養の使い方の違いはわかっているのだけれど。