二人の監督

 文章を書くときには二人の監督が必要と言う気がしました。
 一人はストーリーを監督する人。もう一人は文章を監督する人。大事なことは、ストーリーを監督する人はその影響という意味で文章の細かいところも調整する必要があるけれど、文章の監督者はただ文章そのものの出来だけを見るべきだということです。
 ストーリーのためのいい文章というのと、文章がそれ自体でいいものというのは若干別物であると思います。ストーリーのために必要な文というのは、必要であればどれだけ荒っぽくてもかまわない。例えば、福井氏の文章のように。けれども、たぶん、今書きたいものはそーゆーのではないのです。
 最近、日刊イトイ新聞(http://www.1101.com/home.html)の「保坂和志さんの経験論」が最近ブームで、かなりその影響を受けています。なんつーか、ストーリーとかテーマとかがなくても成立してしまうような文章をつかって、話を作りたい。
 つーわけで、方向性見えてきたので、タイミングが合って、出来よければ、おねこん出します。悪けりゃ、適当になげます。今の考えだと、ストーリーとかはわりとどうでもいいし、題材もなんでもいいので、おねこんでも可。もちろん、書く以上は自分の感性的におねである必然性がありそーなもの書きますが。

 あと、
 http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/computer/1614/1122306097/
 こんな企画が立ってるみたいですね。
 前回の奴はどうなったんだっけなぁ。なんか俺はぶる祭り主催としてエロトークに誘われたけど、参加を断ったような記憶があったけど。
 まー、読んでない俺には関係ないけれども。
 どっちかというと、もっと昔のSSこんぺの話の方がしてみたいなぁ。久しぶりにどっぷりSSにつかってみたい気もする。
 うーん、スブルマンSS学会向けのトピックかもw