シュリ

 正直、序盤・中盤はさして面白いとは思えなかったし、そこは曲げる気はない。前評判とか見てれば、誰が犯人なのかというようなやり取りはオチが見えてる。それをだらだらやられても困るし、大体韓国人の顔の区別がつかないんよ。人の顔の判別苦手だからさ。
 それで、もう最後まで見なくていいかな、とか思いながら延滞してしまったので折角だしと思って最後まで見て……化けた。馬鹿にして、悪かった。




 ネタバレ気味に。
 韓国は現在世界でスパイ映画が作れる最後の国だ、というような表現を聞いたことがあるけれども、そんなに事情は簡単ではない気がする。アメリカとロシアの抗争といった、そんな単純なものとはわけが違う。貧困にあえぐ北朝鮮も、その北朝鮮からの脅威におびえる韓国も、どちらも分裂を望んでいない。そもそも、その対立からして、冷戦の代理戦争的なものだったのだ。
 50年前は、同じ国。現在は、もっとも危険な隣国。恐らく、韓国が北朝鮮に抱く感情も、北朝鮮が韓国に抱く感情も、想像ができないような複雑さを持ったものなのだろう。銃撃戦によって、韓国人と北朝鮮人がそれぞれ死んでいくシーンでは、その二つの死が平等なものとして画面に映されている。それは、どちらの死を悼むようであり、その状況それ自体に光を当てようとしているものに見える。
 そして、その分裂の象徴的な存在としてヒロインがいる。二つの名前を持つ彼女は、それぞれの名前にそれぞれの国を当てはめられてるように見える。一つの顔は冷酷なテロリスト。一つの顔は主人公を愛する陽気な女。どちらの顔にもなりきることが出来ない姿、そして、その二つのかけ離れた役割の間で引き裂かれる心。


 なんといっても、スケールがでかい。歴史もある。
 この映画が、優れている点は、そういったスケールなり歴史なりを完全に踏まえたうえで作られている点だろう。ついでに言えば、この映画自体がその歴史の一部として組み込まれていくのだろう。