頭がいい奴ってなんでみんな幸せそうじゃないんだろう?

 BLOGとかを読んでいて、「おー、確かにー」と思わされるようなことをコンスタントに、かつ学術系のごまかしとかを使わずに書いている人たちがいる。大体は日常体験したことに対して、友達にしゃべっているような気楽なスタンスで書いているもの。その考察はあっさりしていて、へぇ、とうなずくだけなのだけれども、1へぇの説得力を平均的に出せる。おそらく、考えてそれを書いているんじゃなくて、単に感じたことを書いているだけなのだろう。
 普通に生活して会う人で凄いな、と思うのは大体こういう人種だ。自分の知る限りそういう人は社交的で、明るくて、でも、突っ込んで話してみると周りの人間のことをやけにしっかり見ている。ついでに言うと、大体物まねがうまい。記憶力もかなりいい。こっちが忘れたことも覚えている。面白くて、人気者であることも多い。一人例外いるけど。自己イメージがやけにしっかりしていて、けれども、そういうと「いや、ぜんぜん自分のことはわからんよ」といって笑って見せたりする。
 そして、大体、彼(彼女)は、幸せそうじゃない。もちろん、日々を楽しんでいるんだろうけれども、楽しみきれてないというか、あきらめながら楽しんでいるように見える。すれてる、と言ってもいいのかな。
 ありふれた物言いだけど、「見ない方が幸せなもの」っていうのはたくさんあるんだろう、とそういう時思う。嘘に気がつかないでも、案外この世界やっていけるもんだろうし。建前と本音を把握して、建前は建前として様々な背景があるから尊重して、とかになっちゃうと、それはそれで疲れてしまうと思う。でも、まぁ、そういう風に生きてるんだからしゃあないんだけど。
 お疲れ様、とか言ってみたいけれども、たぶん笑われるだけなんだろうな。
 年取ったら、みんなあんな風になるんだろうか。だったら嫌だ。でも、年取ってああならないんだったら、若くからスレてる連中がそれはそれでなんか惨めな気もする。

 こういう「真夜中のラブレター現象が起きている」文章を真夜恋文と名づけるのはどうだろうかと思う。ろまんちっく。
 センスねー。