沙耶の歌

 素直に、面白かったです。一時間半くらい濃密な時間をすごせました。ありがとうございます。
 ――それにしても、凄い作品ですね。いろんな意味で。
 素直にライターさんの腕を褒めるなら、いつでも読者をひきつける展開の妙と、捨て文がほとんどない文章構成は賞賛に値すると思います。ぜってー、あんなのできねえよ。
 んで、以下ネタバレ考察。
 
 例えば、「恋愛対象がどれほど人間から離れているか」というのを並べてみましょう。人間。これはまー、普通ですね。次は擬人化されたもの。例えば、ロボット、でも外見は人間。猫、でも外見は人間。さらに一個飛ぶと擬人化された「何か」。例えば、幽霊であり、例えば、地球外生命体であるわけです。
 次は擬人かもされてないものになるんでしょうけど、馬とかナメクジとかとの恋愛って俺あんまり知らないんで、どーなんでしょう。相沢和也氏が書いていたようなおぼろげな記憶がありますけど。以上余談。
 で、そうすると、沙耶は地球外生命体という一番極端なポジションにいるわけです。その上、沙耶がほかの作品よりもさらに変わっているのは「主人公には人間に見えるけれども、ほかの人間から見ると化け物に見える」という点です。この作品はマルチアングルなのは、その設定を生かすためでしょう。ほかの人間から見た沙耶=化け物というのもある程度描いています。隣人や友人の彼女が食われ殺されるシーンでは、化け物としての沙耶が描かれています。ぬるぬるとした生き物で、人間を食らう。エイリアン系の化け物です。気持ち悪い、グロテスクな生き物です。
 結果として、プレイヤーは主人公の視点(沙耶=かわいいおんにゃのこ)とほかの人間の視点(沙耶=グロテスクな化け物)という二つの見え方を同時に体感することになります。
 俺が興味があるのは、その上で一体どれほどの人が沙耶に萌えられるのか? ということです。主人公が沙耶を愛するのはわかります。彼はほかのものすべてから迫害され、もうそれしか残っていないのですから。けれども、プレイヤーは違う。主人公に対してある程度感情移入しながらも、ほかのキャラの視点からの印象も残っている。ちょっと考えてみれば、沙耶と主人公のセックスなんてすげーものになります。ぐちゃぐちゃのエイリアンが男のアレに絡まって、男が唸って、射精してるところなんて、グロです。*1
 それでも、それなのに、萌えられるのか。
 だったら、萌えってすげーなぁ、って思うんです。*2別に、考えないでただ萌えてるだけだったら、へぇ、で終わりですが。
 
 ちなみに、そうやって考えてみると、この作品で使われているロジックって、この沙耶で萌える奴っておかしい的なものがありますよね。例えば、耕介(だっけ?)を殺す計画を練っている際の主人公は、こっちは化け物ごろしだから抵抗はないけど、あっちは人間を殺そうとしているから少しは抵抗があるはずだ、というよーなことを言っています。これは、うがってみれば、化け物なのにあんたら萌えられるのかよ、みたいなコメントにも見えますね。

*1:ただ考えてみりゃ触手もそうなんですけど。でもアレは気持ち悪がる女の子に萌えてるんですよね。その心情もグロイけどさ。

*2:意図的に考えないようにさせている部分はもちろんあると思います。だって、そんなことしたら売れないし。例えば、沙耶を一度も文章にしろ、絵にしろ本格的に描いていないというのは、そのためだと思います。それやってくれたらホントに凄いと思うけど、凄すぎてちょっとひく。