書き殴り気味

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 『黒いブーツ』

 当時の僕はゴシック・ロリータに一つの哲学としての関心を持っていた。美に尽くし、すべての物に反抗し、自らを自然に遠ざけようとし、全ての美しくないものの存在を否定する。あまりに人工的で、非現実的な哲学。それはファッションにも現れ、彼女らはまるで自らを人形のように着飾る。
 もちろん、そんな考え方で世の中を生きていけるはずがない。その限界は拒食症で入院する少女であり、潔癖症のあまり全てをアンモニアでふき取らないと触れない少女である。
 でも、彼女達はきっとそうしないと生きていけないのだろう、と僕は思っている。

 そんな少女達を探すのは難しくないようだった。武道館のスケジュール表を探し、ヴィジュアル系ロックバンドがライブを開いている日に九段下に行けばいい。開演が近づくと、仮装行列と誤解するような光景が見られる。自然主義の画家のパレットよりも彩り豊かな髪を持ち、フリルのたっぷり使われた服をまとい、手にした鞄にはかわいい人形。全身武装した少女達。僕の横を通り過ぎた中年の男性は目を覆って歩いていた。日本の将来でも愁いているのかもしれない。そうしているうちは彼はきっと少女達を理解できない。あれは、ファッションじゃない。武装なんだ。世界と、自然と、自分以外のすべてと闘っているんだ。
 僕は壁にもたれながらその異様な風景――考えて欲しい、地下鉄を人形が闊歩しているのだ――を観察する。
 そのうちに、僕は違和感を覚えた。それは、単純なことだった。少女達が笑っているのだ。隣の友人の方を向き、げらげらと笑う。その姿はファーストフード店の女子高生となんら変わりはない。よく見れば、少女達のほとんどが団体で行動している。ただの、人間だ。
 つまらない。そう思いながらも僕は壁に背を預けて、その風景を眺めていた。まぁ、しょうがないか。哲学なんて何もなくてもその服装はそれはそれで美しい。そう思いながら観察を続けていると、一人の少女に目が止まった。
 彼女は黒一色だった。現代ではほとんど見られない背中まである黒い髪を結わえもせずに伸ばしっぱなしにして、フリルのたっぷり使われたワンピース。胸元のリボンは不自然なほど大きく、化粧のしすぎで下の表情をうかがうことは出来ない。そして足元には黒いブーツ。彼女は周りに目を配ることなく、背筋を伸ばし、小気味のいい足音を響かせ早足で歩いて来る。
 僕は小さく口笛を吹いた。この、凛々とした雰囲気。完璧だ。
 その彼女が、僕の目の前を通り過ぎていく。香水の匂いに、目がくらむ思いだった。直後に、妙な音。僕は目をあけて、左を見る。
 彼女が倒れていた。小さなうめき声をあげながら、体を起こしている。僕は手をさしだした。彼女は化粧の奥で一瞬戸惑っていたようだけれども、その手をつかんだ。立ち上がり、服の埃を執拗に払う。
「歩きにくいブーツを履いているからだよ」
 僕が言うと、彼女は無表情に言い返した。
「私は早く走らないといけないから」
 意味はわからなかったが、納得した。
 彼女はそれだけ言い残すと、僕の目の前から立ち去っていった。

 それから、数年がたつ。
 時間はゴシック・ロリータに対する興味も薄させ、僕は大学生を卒業し、社会人になった。だが、街角でその手の店を見ると、今でも足を止めてしまう。もう服には興味はない。ただ、黒いブーツだけを見に行く。
 その革の光沢を見ながら、僕はぼんやりと彼女はまだ戦っているのかどうかに思いをめぐらせる。その戦いに、終りはない。敗北しかない戦いなのだ。
 もしかしたら、彼女はもう死んでいるのかもしれない。それはただ一つの勝利の形なのかもしれない。そう思いながら僕は煙草に火をつけた。


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 最近、ゴスロリになんとなく興味があります。新宿のその手の店を見に行って、からなんですが。『それいぬ』もなかなか興味深いし。