ロボット考

 http://d.hatena.ne.jp/heterodogs/20041004
 ここを読んでいて、どこまでが人間なのだろう、とか思ったのでちょっとパターンわけしてみようと思いました。北風さんとか酔狂さんとかに話し聞いたら面白いんでしょうなぁ、と思いつつ。
 とりあえず両極になるのは、ただの機械と、人間でしょうね。ただの機械とゆーのは例えば、電子レンジとか、アイロンとか。適当だけど。
 その間には無数のその間の事例があるんでしょーが。とりあえず思いついたのをピックアップ。

 1、外見が人間。でも何も動かない。マネキン。
 2、外見が人間で、人間のように動く。
 3、人間の思考をコピーしたもの。グレッグ・イーガンの『誘拐』かな。
 4、人間だけれども、脳以外すべてが人外。サイバーパンクな感じ。
 5、人間。でも手足が機械。フック船長とか?
 
 とりあえずこんな感じ?
 人間観は、2と3と4の間で揺れ動いてるのが現状かなぁ、と思います。イーガンの『誘拐』は3をうまく描いた名作だと思います。あれの場合前提として、人間の思考をコピーしたものを人間として扱うのが常識化していることがありますが、そこのラインはどうなんだろうなぁ。あっさり超える人と、超えられない人の差が大きい気がします。
 4はどうだろう。例えば、オトタケさんは四肢がなくても、人間として認められるわけだけれども、昔いた奇形児の二人がくっついてる人とかをみんなどこまで人間として感じられるのでしょう??
 そして、例えば人間の脳を動物であるとか、ねずみであるとかに積み込んだとして、それを人間だとして認識できるのでしょーか。ウフコック。
 根源的なところまで考えなければ、結局はその人間(?)とどういう風に時間を共有したか、というところに寄るのではないかという気がします。犬だけど人間の知能があるのを眺めただけだと完全に別世界のものだと感じるでしょうけど、一緒に遊んだりして、なんか「あ、これは犬とは違う」と思うような瞬間(思いつかないが)がきたら、人間だと思う、のかな?
 あーそうか。違うのか。
 そういう風に実感として「こいつは人間だ」(あるいはそれに準ずるものだ)と感じたにもかかわらず、人間じゃない、という状況が問題なのか。個人的な経験と社会的な常識、そしてまわりの対応が分裂して、どう扱えばいいのか分からない状況。
 そう考えれば、現実的に考えられる「どこまでがロボットなのか」問題って、まわりに結構あるのと似てる気がしますね。もちろん、この取り出し方だからなんですけど。もっと根本的には全然違うし。
 ていうか、どっかで間違えたと思う。どこだ。