『<民主>と<愛国>』

 今年一番の本の可能性がかなり高い。凄く良書。
 良書とゆーのは、1)それ自体で読んで大体わかる。2)1と関連するけれど、そこまで難しくない。3)読んでて発見があり、面白い。4)読書欲がわく、辺りが並列して起こる本だと思うのですが、全部おーけー。
 『ローマ人の物語』じゃないですが、あの手の歴史モノとして読むことも可能だと思うので、ああいうのが好きな人はわりと楽しめるかもしれないのでお勧めです。ただまー、買うには高いだろから、立ち読みで読んでみてソコソコ楽しめそうなら、とおまけをつけますが。
 知識社会学的なアプローチから、日本の戦後の「民主」と「愛国」そして「公」という言葉の変遷を追った本、と書くと分かりにくいですね。よーするに、丸山しげお(漢字忘れた)とか吉本りゅーめー(漢字忘れた)とかべ平連とかの活動を逐一描写しながら、その中での「愛国」というのがどういう意味で使われているのか、そして、それはどんな背景から生まれたものだったのか、ということを記述した本です。
 んで、いくつか私的ポイントを。
 まずは、本の一番いいたいことである、戦後における言語の混乱とゆーのは大切なことだと思うのです。よく言う議論の前に言葉をちゃんと定義しよう、という話が論壇においてはさっぱりできていないということですね。考えてみれば、それぞれ他の事柄に専門を置いている人々が議論をするわけなのだから、知識が偏っている上に違うところからとっているのは当たり前ですな。読みたいもんを読みたいよーにしか人は読まんのだし。
 そのため、戦後民主主義者に対する、最近のコメントとゆーのはすべからく間違っている可能性があるわけです。ただまー、そこを差っぴいて本を読むのは基本なのでしょうが。言ってることは全部例示であり、知識が間違っているとかは何事においてもさほど問題ではないと思うので。てか、でなきゃ、誰も何もしゃべる資格はねー。特に俺。
 あとまー、これは捻じ曲げられている可能性があるのですが、論壇人が何をしゃべっていよーが、それは学問的なものだけではないということです。形而上的なことを考えていても、飯食って、クソして寝るふつーの人がやっている営みの一環なわけで、その延長線上として考える必要があると思うのです。でもこれは、だからだめー、ってんじゃなくて、逆にだからこそ使えるというものだと思うのですが。つくづく浅羽通明の影響だな、この辺りの発想は。
 つまりあれ。思想を読むなら、先に伝記を読んで問題意識とその土壌をしっかり知ってからの方がいいよね、ってことです。
 ぷらす、戦後日本についてはもっと詳しくなる必要があると思うのです。ふと振り返って恐ろしくなるくらいに、俺は日本史については知らない。この本読んでほぼはじめて安保というものの輪郭がつかめたくらいですから。「現在のナショナリズムに対する言説の混乱は、60年代あたりに起源がある」ということを如実に示すこの書物を読むと、なんつーか、明らかにそういう知識不足は変なことを言ってしまう理由になると思うのです。別に言ってもいいのだけれども、自分がどういう土壌の上に立って、その上でどういう人間なのかに興味がある身としては、やっぱりそこらへんのことは甘く見れないのです。高度成長期に関して何も知らないのも痛い。*1
 しかし、上で書いた戦時世代とその後の世代の断裂というのは凄く深刻ですね。結局人間は先代のものからは対して学べないということがよくわかります。体験を共有できないというのは当たり前の限界なのですが、なんだか寂しい限界でもありませすね。教育というのは難しいものなのだろうとつくづく感じます。

 とりあえず、戦後日本史と、鶴見俊輔(だっけ?)を読もう。うん。

*1:ていうか、最近はやりのニートって、別に何もおかしくない気がしてきたのですが。労働第一の価値観というのは『プロ倫』を信じるならば、西洋限定の現象であり、それを引きついだ&発展途上国の「経済発展=生活の安定=幸せ」みたいな状況によっておこっているだけの逆に例外的なもので、その条件なければ、誰も好き好んで働きたくないんじゃないだろーか。その状況がおかしく見えるのは単に、現在マスコミとかで書いているメインの世代が、まだ高度成長期ごろに自己形成をした世代だからであり、最近ニートが言われるのはそのころまだ物心がついていたか、くらいの人々が大人になったからでは? そんなことを書く俺はニートのことをさっぱり知らないのですが。あと、だからいいとも思わないけどさ。俺は安定志向なので。