『すてきなあたしの夢』

 今日はAJICO『すてきなあたしの夢』。
 未完。ていうか、適当。

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 ガラスごと水を握りつぶす。指の合間からこぼれた液体がどろりと、膝に零れ落ちて、デニムの藍色の生地を濃くする。手を閉じたり開いたりしてみると、ゆっくりと赤が滲んできて、じわりと痛みが広がっていく。痛みと共に広がった血は手のひら一杯に溢れて、そのまま、ぽたり、と落ちる。膝に落ちる。
 藍と赤が混じる。
 黒に染まる。
 
 『すてきなあたしの夢』
 
「だって、あんたも冬物買った方がいいよぅ。なきゃもてないよ。もてなきゃ寂しいよ」
 そういって彼女は、あはは、と笑いを浮かべた。「そうかな」と意味もない相槌を打ちながら、私の目はテレビを見ている。天気予報図の中では、捻じ曲がった曲線が日本列島を取り囲み、まるで監獄の中に入れられているように思えた。
「んじゃ、明日駅に1時に集合ね」
「ちょっと、遅くない?」
 私が尋ねると、彼女はまた笑いながら言う。
「だって、起きれないじゃんー」
「そうね」
「おやすみー」
「おやすみ」
 携帯電話を折りたたむ。液晶画面が示す時刻は、1:21。窓の外では遠くの方でネオンがかすかに輝いているだけだ。私は、閉め忘れていたことに気がついて、カーテンを引く。これで、部屋を外から見られることもない。
 さてどうしようか、と私は思う。夜はまだまだ始まったばかりだ。今日は一体どうしよう。
 まずは、腹ごしらえだな、と私は思う。冷蔵庫のドアを開けて、キャベツとトマトを取り出す。包丁で軽くスライスして、トーストのなかにはさめばサンドイッチの出来上がりだ。ハムも足しておく。コーヒーも入れた。
 さしておいしくもないサンドイッチを食べながら、私はぼんやりとテレビを眺める。テレビのなかでは今だに無言の中で、スーツを着た男が、日本地図を指差しながら何かをしゃべっている。そういえば、前、あの子が天気予報に裏切られてずぶぬれになったに、といってずいぶんと怒っていたことを思い出した。私も一緒にずぶぬれになりながら、そうだね、と肯いていた。
 ふと目を落としたコーヒーの水面に自分の顔が映っていた。それは酷くぼんやりとしていた。ゆっくり揺らすと、波紋が広がる。顔の輪郭が、完全に分からなくなる。それに満足感を覚えながら、私はコーヒーをすすった。
 何も頭を働かせないと連鎖的に記憶がよみがえってくる。あの子と出会った入学当初のこととか、始めてこの部屋に来たときのあの子の反応とか。彼氏ができたときには物凄く自慢をされて、正直、困った。どうしてそんなことが自慢になるのかが良く理解できなかった。
 ため息をつく。そして、ようやく手を洗い始めることにした。
 台所に向かい、流し場の前に立つ。換気扇がかすかな唸り声を立てる下で、私はゆっくり左にひねった。私の手の動きに伴って、ゆっくりと水が蛇口から零れ落ちていく。液体は銀色の地面に衝突して、光をかすかに反射しながら、飛び散り、そしてまた集まり、どこかへ流れ去っていく。私はそれを見ながら手を水の流れに差し込む。手を打つ冷たい感触を感じながら、ゆっくりと目を閉じる。触覚が鋭敏になり、他の感覚が相対的に消え去っていく。手のひら以外が意識の外へ完全に消え去るまで、私はゆっくりと集中力を増していく。
 そして、私が消えていく。
 
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 手を洗うことが、昔から特別に好きだったわけではなかった。
 いつから好きになったのかもよく思い出せないけれども、私がそれをはじめたのはここ三ヶ月程度のことだった。けれども、始まってからはそれこそ中毒になったかのように、真夜中、毎日、一人で、手を洗っている。夜の始まりから初めて、朝の始まりまで、台所から離れることはない。私は眠ることすら忘れて、手を洗い続けている。そんな生活を続けても身体を壊していないということにはじめは疑いを抱いた。手を洗いながら眠っているのだろうかと考えたこともあったけれども、水の感触を覚えているから、違うのだろうと結論付けた。医者を尋ねてみようかと考えたこともあったけれども、その必要もないことに気がついた。別に、どこかが悪くなったわけではないのだから。
 いつから好きになったのかは、思い出せない。でも、どうして好きになったのかは思い出せる。それは、赤と藍が混じって、黒になった瞬間だった。それを見て、はっきりと、私は醜いと思ったことを覚えている。それから私は強迫観念のように、亡くなった恋人をただ思うように、手を洗い始めなくてはならないと思った。それは純粋な思いだった。