結局はリアリティ

 昨日行ってきた写真展について。戦争の傷痕とか、占領軍の暴虐とか、そういうものを描きたいらしい、悪く言えば、左翼のベタな写真展でした――、ってまぁ、行く前にそういえば、そうだよなぁ、と考えない俺がアホナンデスガ。
 んで、まぁ、ショッキングな絵が並んでいるわけです。上半身がすべて吹っ飛ばされている死体とか、死んだ娘を抱きかかえて泣いている男だとか、放射能のせいで普通とは完全に違った顔(第一感想は醜い、でした)になってしまっている人だとか。はじめはそういうのを見ると、素直にかわいそうだ、と思うし、目をそむけて見たりするわけなんですが、すぐにそういった感情は消えていきました。そして、悪い癖が出てきました。 
 なんか色々さめてきちゃったんですよ。それで見る目が変わると、なんかこー、色々と問題がありありなわけです。
 まず、写真が生ぬるいっていっちゃあ、生ぬるいし、厳しいといえば厳しすぎるわけですよ。戦争写真って言うわりに、もろに殺されていく人を描いた絵もないし、見渡す限り死体で、それをそれぞれ詳細にとっていった写真とかがないわけです。目を背けたくなるような、じゃなくて、見た人が思わず昼に食ったもんを吐き出すような写真は、絶対に取れると思うわけです。例えば、人間の死体を遠距離からとって、中距離からとって、最後に千切れた写真のUpとか取れば、もうそれだけで気持ち悪さUpです。戦争の悲惨さです。ぐろさ満点です。そいったのがない。そして、逆に、ドメスティックバイオレンスを受けている女性を写真で取っているのなんかみると「おいおい、助けてやれよ」と突っ込みを入れたくなります。しかも、カメラを普通に構えている姿が写真に写っているわけです。しかもそいつ、DVの専門家らしいです。お前、それはなにか間違っているんじゃないか。お前は夫が妻を殴るという姿が衝撃的で、それがとても醜いと思ったから、それを止めようと思ってカメラを取ったんじゃないのか。たしかに、カメラ使えば、そりゃ、たくさんの人の目には触れるさ。でも、アンタそれで、目の前の男止めなくていいんかよ。それ、手段のために目的忘れてないか?
 そんなツッコミを入れたくなるわけです。
 そして、それと同じくらい気になるのが、写っている写真が、あまりに美しいものが多いということ。一番美しかったのは、落日にうつってシルエットだけになっている幼い子供の姿。遠くにそびえる山しかまわりをさえぎるものがない環境のなかで、身になにもまとっていない様子のそのシルエットは神話的なものがありました。
 芸術的なのは、いいことだと思います。美しいものはそれだけでたたえられるべきだと思います。けど、ねぇ。報道写真とか、そういうジャンルにまでそういう芸術性を入れてもいいんでしょうか? 
 客観報道っつーのが嘘だ、っていうのはわかるわけです。客観とゆーのを推し進めた言ったはずの物理学ですら、不確定性理論とかいう「あんたが見てるんじゃん」というツッコミを受けて、その客観性を揺るがした、とかいう話を聞くくらいですから。昨今の『華氏911』議論を見ていても、しみじみとそのことは実感します。でも、言いたいのはそういうことじゃなくて、ここから距離にして何メートルあるかわからないけど、それくらい先の人をゲイジュツ化しちゃうのは本当に正しい方法なのか? ということです。
 たしかに、一発どかんと美しくも哀れな少年とか、哀切で悲惨な家族とか、そういうのを映されるとびんと来ますよ。せつないねぇ、と思いますよ。でもそういうのは、嫌っているTV報道と同じなんじゃないか。メッセージが違えば、同じ次元でもいいのか。というか、そんなに単純なことでいいのか? 
 なんつーか、もっと色々あるじゃないですか。生活してると。クソもするし、意味もなくへこんだりするし、下ネタで笑ってみたりもするし。写真を見てるとそういうものが見えてこないんですよ、その裏側に。
 そこは、見せたくないのか。見せたくないんだったら、その見せたくないという手法は本当に正しいのか。
 メッセージを一つにまとめるのはマーケティングの基本だそうです。わかりやすいし、そのほうが伝わるからでしょう。でもそうやって作られたメッセージは、なんか信用することが出来ません。編集という作業が、あんまりに見えすぎるからです。別様にも弄れることを、テレビのチャンネルをちょっとまわせばすぐわかりますし。
 んでまぁ、またリアリティの話になっちゃう気がします。何が真実なのか、とかそういうのじゃなくて、どうやって構成されたリアリティに納得するのか。腑に落ちるのか。恐らく、そういったリアリティに真実味を感じる人はすげーたくさんいるんでしょう。
 そこらへんは、マジで一回考えないとまずいとおもいました。再び。


 追記。
 バンプのインタビュー読んでたら「嬉しいです。僕らの曲を現実に持ち込んでくれるのは、とっても嬉しいです」という言葉が出てきました。
 そゆことかも。結局非現実は非現実にしか落ちていかないと思うんです。要リアリティ。そして、写真のリアリティは美しさにはないと思うのです。ってことかな。