『「彼女たち」の連合赤軍』大塚英志

 すげー、意外なことに面白かったです。いや、ホント意外だわ。悪いけど。
 大江健三郎の「東京の消費者文化の肥大と、世界的なサブカルチャ0反映としての小説とは異なる、真面目な文学の創造を願う私達」、あるいは江藤淳の「小説がカルチャの座から転落し、サブ・カルチュアに低迷しつつある」ことを理由に文芸評論をやめるというような「サブカルチャーは戦後史から無視する」というような試みに対して、控えめに「じゃあ、僕達の存在はどうなるの?」という疑問を提示する本。具体的には連合赤軍事件や、オウム事件などに少女まんがや消費社会の影を見るという方法を取っている本。
 個人的に面白かったのはオウム事件において、女性信者に注目した章。いわれてみれば確かに、「ヲタク的な知の結末」としてみた浅羽道明といい、「『北斗の拳』的な世界観の週末」として見た宮台といい、視点は男性の幹部に焦点が当てられたものだった。実はヲタ関係で文章書きたくて読んだんだけど、意外にも宗教社会学の夏のレポートに使えそうです。いえー。


 しかし、この手の過去について歴史的に考察した本を読んでいくと、20年前、30年前について書かれた文章に対してあまりに違和感を感じることが多い。「出産本と『イグアナの娘』たち」の章に書かれていた母性に対する忌避感なんて、日常ではあんまり感じないし(たまには感じるけど)、メディアではまったく感じることがない。都市社会学をやっていて、農村と都市を比較したときに「しっくりくる感じ」がまったくなかったのも良く覚えている。そこに出てくる都市観というものは、それが普通になってしまっている自分から見れば「んなこといわれてもねぇ」とつぶやいてみるしかないものだった。
 逆から見てみれば、この年頃に生まれたせいで手に入れられなかったものというのがそこには並んでいるってことなんだろう。それらを一本の線で結ぶことが出来るのが、民俗学だか歴史学っつーことなんだろうなぁ。そう思うと、なんだか身近なものとして使えるし、そう使わんと意味がないってことなんだろうなぁ。
 使えそうなとこだけ今度整理しよっと。