SS論`s

http://homepage1.nifty.com/hirokata/(106・108)
http://8530.teacup.com/ahh/bbs
 もっともSSを体系的に捕らえている人の一人であろう、宏方さんの「二次創作概論Ⅰ」
 本当は自分なりに整理して、こっそり質問したりしてからリンクを張りたかったんですが、そんなことを考えている間にAHHさん(後者のリンク)が関連文章を書いてしまったので、流れを追ってみたり。
 とりあえず、106の方で理解できなかったところを写すと、
「特に、語り口と主人公の距離、語り口と世界との距離は、ほとんど踏襲しているといってよい。」
「既存作品(一次創作)に「物語を語り直す」という枠組みは既にある。」
 の二点でしょうか。
 語り口と主人公の距離という言葉の意味がまずつかめないです。後者については枠組みがどこにあったのか、それはどのような形で示されており、どのようにして二次創作はそれを取り込んでいけるのか、というあたりがわかんないです。説明がほしいッスー。
 ――これは掲示板で書いた方がいいのかなぁ。どちらかと言えば、ログが残る形で欲しいのだけれども。


 分析に関しては、肯かされる点がかなり多かったです。やっぱり。同級生、エヴァの部分はよーわからなかったですが。「自己確認の物語が多い」、とか、「Kanonの場合には、本質的に他者は出てこない。」とかは言われるまで気がつきませんでしたが、言われてみればそのとおりだなぁ、と思います。
 基本的に落しどころが自己確認に行くのはこんぺとか見れば一目瞭然だし、異質な存在である他者が出てくるSSはあんまり思いつきません。(『月まど』の護のおかーさんがそれっぽかったなぁ。ちょっと)


 しょーもない雑感をちょっと。
 この二点って現代小説の特徴とかぶる点がかなりあるんじゃないでしょうか? 『小説家になる!』だったと思いますが、村上春樹の『中国行きのスロウ・ボート』の解説をしているところで、中条さんの読む作品の中には他者の出てこない物語がたくさんある。それを避けようとしているところに村上春樹が作家と呼べる点がある、みたいな文章を見た記憶があります。――まー、これだと現代小説の特徴なのか、素人の文章の特徴なのかはいまいちわかりませんが。
 んで、これにAHH氏に習って、ほとんどの作品は一次・二次にかかわらずモデルがあるということを重ね合わせると、上記のような二つの特徴を持ってるって点だと「kanon的」である作品がかなり多いっつーことなんでしょうねぇ。
 嫌な話だけれども、自分も影響されてるなぁ。しかも、あんまり面白くない影響だ。
 とほほ。