Silent Snow Stream

 というタイトルで連載しようとしていたSS。ぶっちゃて言うならば『世界の果てという名の雑貨店』の雛形となったSS。こっちは出来のほうはそこそこだけれども、恐ろしい勢いで完結してないまー、300Kレベルを予定して書き出した奴だから当たり前なんだけれども。ちなみに、30K×10話くらいの短編連作にするつもりでした。その第一作目&プロローグですな。

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 プロローグ

 何から書けばいいのかは、わからない。
 誠実に書けば、そうなってしまう。今から書こうとしているものは、小説でなく、エッセイでなく、詩でなく、寓話でなく、哲学書でなく、理論書でなく、評論書ではない。ノンフィクションという表現が一番近くなるだろうけれども、それでも嘘になる。ここに書かれていることが全て真実というわけじゃない。これはただ、一人の男が、自分が見聞きしてきたものを記す、ただの断片の集まりに過ぎない。それがどこかの方向を目指しているだとすれば、それは俺の人生がそういう方向を向いていただけだろう。
 正直に言う。八分型書きあがったこれがどんなものなのかを、自分自身、正直に把握することができない。
 ただ、この文章が書かれた意図を説明することはできる。
 これは、あの雪の時代を乗り越えた人々に対する手向けであり、慰めであり、それ以外の何かである。16から30代半ばまでを過したあの季節は、俺一人だけのものではなく、何人かの人間の受け継いだものだった。二人の少女の死は、数人のものに「何か」を与え、その「何か」は伝染病のように様々なところに広がり、影響を与えた。これはそのささやかな記録でもある。
 ――結局、文章はただの文章なのだろう。書いた本人の意思なんてものは、文章の拡大の最中で希薄化され、どこかへ消えてしまうのだ。もしかしたら、この原稿の上の分子の中に消えてしまったのかもしれないし、ニューヨークのスラム街のホットドックの中に紛れ込んでしまったのかもしれない。そうでないのかもしれない。
 世はなべてことなし。
 ただ、時だけが流れ去る。

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 0、

 その雑貨店に足を踏み入れたのは偶然だったし、その雑貨店で働くことになったのは完全な偶然によるものだった。そこには必然なんてものは何一つ見つからないし、運命という言葉は店中を――さまざまなものでごった返したあの店すべてを!――ひっくり返したとしても、パンの屑程度にしか見つけられないだろう。それでも、運命論者はしかめっ面をして語る。「そこには、それだけの運命があったじゃないか」と。
 そうなのかもしれない。もしかしたら、俺や、倉田さんのほうが間違っていてそこに存在したのは確固とした運命だったのかもしれない。そうだとすれば、それはきっとモーツアルトやバッハに似た蒼ざめた表情をしたものだろう。白の髪を長く伸ばし、睨みつけるようにして、何かを見続けている。とっつきにくくて、気難しそうな、老人。
 けれども、そんな彼等にも若い時期があり、放蕩に走ったころがあり、涙を流さねばならないような辛い出来事があり、夏休みの終りを恨みながら宿題を済ませた時期があり、そしてこの世から消え去っていく時期があった。
 運命というものは、ただの時の流れだ。そう運命論者には告げたい。
 そして、付け加えたい。As Time Goes by……。


 1、

 それは、春だった。時期的には四月。心浮かれるシーズンであり、恋愛の芽生えやすい時期でありであり、新しい時代の訪れの象徴である。ついでに言えば花粉のシーズンである。もう一つ付け加えれば、恋愛はオールシーズンスポーツである。
 目に映る光景は全てが、今が春であることを認め、その時期にあった衣替えを内面外面問わず完全にすませ、全速力で突っ走ろうとしていた。受験戦争を無事に終えて(あるいは失敗して)浮かれた表情の新入生達が校内に漂い始め、待ち受ける在学生達はクラブ勧誘のために全力を尽くしていた。大学校内の草木は一斉の自らの季節を謳歌し始め、桜はその花びらを空気中にまわせて、その下では酒瓶がごろごろ転がっていた。ときどき人間も転がっていた。
 けれども、俺は周りとは一歩隔絶していた。まだ俺の中には、春の風が吹き入れられることはなく、まだまだ冬の木枯らしが吹き荒れていた。吹き荒れていた。その風は、もしかしたらそれまでに体験したどんな季節よりも冷たかったかもしれない。
 知り合いが、死んだのだ。事故だった。まるでお話のように現実感のない事故だった。舞台はありふれた、それこそ教科書に載っていてもおかしくないような小規模な商店街。そこの交差点を赤なのに無理やり渡ろうとした小学生の女の子をかばって、その知り合いは車に撥ね飛ばされた。即死だった、らしい。聞いた話では、飛ばされた瞬間ではなく着地した瞬間に首の骨が自重を支えきれずに、折れたそうだ。
 俺は、煙草に火をつけた。肺にまで煙を入れて、ゆっくりと吐き出す。自分にしては最長記録の一年近くに渡った禁煙も、知り合いの死と共に終わった。灰色は、活気のこもった空気にゆっくりと広がって、見えなくなった。消えてしまったわけじゃない。静かに差し込む陽射しのなかで、まだ揺らいでいる。ただ、見えなくなっただけだ。
 短くなってしまった煙草を地面に落とし、踏みつけて、俺は歩き出した。講義は、もう終り。部活は、三ヶ月近くも行ってない。
 呼び込みの声に溢れる大学構内を出る。胡散臭さを感じるほど、桜が咲いている道を越えるころには、随分と静かになっていた。それでも、まだ、歩を進める。
 行く当てがあるんですか?
 ないよ。別に。だから、ついてきても何も見せてあげれないし、奢ってもあげれない。
 もう、そんなことを目当てにしてるわけじゃないですよ。
 子供っぽい彼女の声が、ふと蘇った。本当は、あの娘と一緒に歩くことを目当てにして歩いていたのかもしれない。でも、きっと俺は恋愛感情を抱いていたわけではない、と思う。その感情をあらわすのに、一番近い言葉を使うのならば、憧れだろうか。あるいは尊敬だろうか。今となっては、それを突き詰めることもできない。たぶん、突き詰めたとしてもなにもならないのだろうけれども。
 歩いていると、ふと歌が頭の中に歌う。なんとなく恥かしいから声にださないで、心の中にだけその音楽をハミングしてみる。すごく有名な歌なのは、わかるのだけれども、タイトルが出てこない。歌詞も覚えていない。ちょっと物悲しくて、ちょっと愉快なメロディー。なんでもそんなものかもしれない。
 音楽が流れ出すと、気分も多少は明るくなる。元々暗い性格ではない、と思う。最近は、どこか現在の時の流れからはみ出してしまったような部分があるけれども、それでも、自分なりに明るくやっているつもりだ。だって、人間ですもの。
 ねぇ、と笑いかけてみる。もちろん、心の中で。恥かしいから。
 バカみたいだな、と素直に思うけれども、それが悪いことだとは思わない。だから、足取りは自然と軽くなるし、表情だって緩んでくる。春の風を感じる。柔らかな陽射しに目を細める。店内から流れてくる音楽や人々の笑い声が耳に忍び込んできても、幸せな気持ちになれる。世界のすべてが、自分を包み込んで、くれている気がする。布団みたいなもんだ。ぽかぽかして、昼間でまどろんでいたいなと思うような暖かさ。それだけじゃないことを、不幸にももう知ってしまっているけど、暖かいものは暖かい。嘘はつけない。つかない。つく必要もない。
 そして、気がついた時には迷子になっていた。
 いつもの展開だった。
 彼女と一緒の時も何度も、こうやって迷子になって、部活に遅刻して、怒られたものだったな、なんてことを懐かしく思い出す。それは、暖かくて、ほんのり切ない。時と場合を間違えると、すごく切なくて、なんだか泣きそうになってしまうから、自分を押さえることを学ばなくてはならない。
 でも、迷子の時はそのときではない。
 迷子は、つまらなくてはない。
 だって、そう思わないと、やっていけないでしょう?

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 読み返すと、かなり荒いなぁ、と思わず苦笑い。