批評・当たり前の話

 なんで学問なんてものをあるのかといえば、道具に使うために他ならない。哲学にしろ、心理学にしろ、そうだ。政治学・法学あたりに至っては言うまでもない。
 けれども、それは現実から乖離した理論を否定するものではない。理論の為の理論が突っ走りすぎた部分をフィードバックして、再び使える技術に直すあるいは直されたものを使えばいいのだから。
 でも自分が理論を作る側にまわるのは避けた方がいい。それは、専門職の人間がやるものだ。やっても金が入らないような人間は、はただ理論を受けとって、その成果と自らの感性を使って、理屈と行動規範と倫理をつくればいい。できないなら、批評なんてほとんど価値はない。
 その手の本を読んで、論理展開の快楽に浸るのはご自由に。でも、それ、ちょっと間抜けだよ。戦場で銃の美しさにほれぼれとしてるみたいなもんだから。撃ち殺されても知らんよ。実際九割方はそうならざるをえないけどな。
 やや自戒気味に。