文体

 宏方さんのJUNK(http://homepage1.nifty.com/hirokata/)を読んで、文体あるいはアプローチ全般に対して興味が再び沸いてきました。
 で、それとは別に『深夜特急』を最近読んでいました。で、その文庫版後書きの一つに人類学者の今福竜太という人との対談が行われており、それが中々面白い。興味が生まれて『荒野のロマネスク』という本にも手を出してみたんですが、それがさらに面白い。
 文化人類学は現在進化の結果、観察者/非観察者の区別、テキストの独立性、完成品としての文章などの自明とされていた部分に疑問を抱くようになっています。それを突破するために今福氏が取った手段と言うのが、旅の中での自分の身体というものを中心にして描くというスタイルだったようです。で、それに関する様々な論文ともエッセイともつかないような*1文章がつづられています。
 文体と言うものに自覚的になった学者が、どのようなアプローチをするのか。わりと、そのあたりを当たっていけば面白いものが見つかりそうな気がします。気が向く程度に当たってみます。

 宏方さんのJUNK(http://homepage1.nifty.com/hirokata/)を読んで、文体あるいはアプローチ全般に対して興味が再び沸いてきました。
 で、それとは別に『深夜特急』を最近読んでいました。で、その文庫版後書きの一つに人類学者の今福竜太という人との対談が行われており、それが中々面白い。興味が生まれて『荒野のロマネスク』という本にも手を出してみたんですが、それがさらに面白い。
 文化人類学は現在進化の結果、観察者/非観察者の区別、テキストの独立性、完成品としての文章などの自明とされていた部分に疑問を抱くようになっています。それを突破するために今福氏が取った手段と言うのが、旅の中での自分の身体というものを中心にして描くというスタイルだったようです。で、それに関する様々な論文ともエッセイともつかないような*2文章がつづられています。
 文体と言うものに自覚的になった学者が、どのようなアプローチをするのか。わりと、そのあたりを当たっていけば面白いものが見つかりそうな気がします。気が向く程度に当たってみます。

 オリコンは出してよかったと思います。
 安易に大舞台に文章を乗せることがどれだけ虚しいのかわかったので。次は絶対に二時間でださねぇ。

*1:たぶん、その分類と、論文>エッセイという優位性から疑っているのでしょうが

*2:たぶん、その分類と、論文>エッセイという優位性から疑っているのでしょうが