二日ぶりかな。

 二日ほどNETにつないでいませんでした。何も感じませんでした。うーん、本格的にNETジャンキーから抜けてるなぁ。別になんてことないことなのかもしれませんけど、4年近く猿のごとくジャンキーしてきたので、驚きなのです。
 CD色々借りました。個人的には――どれだろうなぁ、当たり。ちょっとヒットがたくさん、見たいな状況です。全部はずれかもしれない。レイ・ブライアント『アローン・アット・モントルー』が父親の頼みで借りてきたんだけれども、かなり当たり気味。そいや、少年アリス聞いてねぇ。フラメンコギターも途中だなぁ。バーデンパウエルの遺作はいいんだけど、電車で聞くのはあわないし、聞くためにテンションを会わせないとちゃんと味わえなくて悲しいだけだし。難しい。
 ところで。
 ある種の音楽ってその音楽を聴くためにモチベーションを合わせんと駄目ですよね。どんなのかっつーと、グルーブよりも間を生かすような音楽。ぼんやり聞いてると、なんとなく不快な音の塊になっちゃう。
 そういう音楽を聴くのに一番いい方法って実は試聴じゃないだろうか、と思うのです。あれは、集中します。300円なり、400円なりという微小な金であっても、それを出すわけだし、荷物をわざわざ増やすわけだし、山のようなCDの中からその一枚を選ぶわけです。静かな店内で一人ヘッドフォンに耳を傾けまくるのです。そーすると凄く良く聞こえるのです。
 ――うーむ。なんかなぁ。それはそれで、微妙。結局、自分はちゃんと音楽を聴く環境を作れてないってことなんでしょうね。駄目だな。
 パンクとかって楽に聞けるからはやってるのかなぁ、というと失礼ですが、俺にはどうもそう思えます。だって、集中しなくてもわかるじゃん。

 本は大塚何某の『物語消費論』をまったり読了。うーん……冒頭の二次創作論めいたものは凄くしっくりくるし、模倣がオリジナルと同列に扱われるというのも凄くしっくり。ただ、模倣が世界を拡張していく、というのがまったく描かれないと違和感。
 あと、二次創作書きの世代間の軋轢って、世界観が拡張されてるか、されきってないかの違いだよなぁ、といまさらぼやいてみるテスト。別にどっちもどっちだよなぁ、と思い出すと、昔の子供っぽい行動が恥ずかしい。売られた喧嘩は買うなりいなすなりするのがいいにしても、喧嘩売るほどのもんでもないよな、とゆー。
 しかし、世界とどう相対するかという方向でしか二次創作が生まれないのなら、(んで基本的にはそうだろうけど)一個の作品で書き続けることはよくないよなぁ、と思う。人のふんどしで相撲とってもいいけど、その人になってもしゃあないし。
 にっけるさんくらい独自性がありゃなにやってもいいけどね。そんなんばっかでもないし。


 ところで。
 昨日はIWGP祭りでした。一人でビデオ借りてきて、5話分見てました。なんて面白いんだ。くそー。見逃してたのが勿体ねー。
 緩めるだけ緩めておいて、そこで出来る限りリアリティを出す。シリアスな場面でもシリアスすぎるようにやらない。このほうが面白いし、リアリティあるんですよね。できないけどさ。
 それで、ラストはラストでぴっちりしめる。そこで出てくるのが社会のルール――というかシステムか。警察、ヤクザ、国籍――物語の本章で相対する相手は高々変態程度で、マコトが一週間かけて運がよければどうにかなるようなものだけれども、こっちはどれも抗いようがないほど強大で、なすすべもなく従うしかない。けれども、日常というルールはそれよりもさらに巨大で、そんなpowerの影響下にあっても、笑顔がこぼれる。
 結局、笑う。なんにしたって。

 なんとなく、去年の夏ごろの日記を読み返してみたら恥ずかしくて見てられなかった。たぶん、来年に今頃のを読み返しても事情は同じだと思う。
 合掌。