世界の果てという名の雑貨店 ver.2(

 捕らえられていたので出しちゃえー。
 というわけで。つーか、昔のHDあさってたら出てきただけなんですが。まー、たくさん出てきたよな。まったく。
 とりあえず、おねこんのために書いていた奴なんですが、なぜかさゆりんが出てきません。あはは。
 前出した奴がバージョン3です。後一個はどこに行ったやら。

・・・・・・・・・・・

 午後の穏やかな陽射しがゆっくりと差し込んでくるような喫茶店が好きだ。耳にかるく触れる程度の音楽に眠気を誘われ、人の話し声はさざなみとなり、図書館で借りてきた古い本が手につかない、そんな時間が好きだ。
 そんなときには、ぼんやりと彼女の声が蘇る。年のわりには幼く聞こえる、けれどもどこか大人びたところもあるような不思議な調子で、彼女はさまざまなことを俺に語りかけてくれた。その言葉を、胸の深いところで壊れ物を扱うように大切に仕舞いこんでいる。そのガラス玉のような言葉を並び替えて、小さくため息を漏らす。追悼というには、あまりにささやかな行動だ。わかってるさ、そんなこと。
 声が、蘇る。
 ――北川さん。輪唱って、好きですか?



「輪唱?」
「はい。輪唱です」
「えーっと、静かな湖畔の森の影から〜♪ ってやつか?」
「そういうのですね」
 突飛な話題。
 でもそれは今始まったことじゃない。初めて会ったときはその話し方にすこし戸惑ってしまったほどだった。
「俺は別に好きでも嫌いでもないけど――栞ちゃん、好きなの?」
「凄く」
 ちょっぴり、恥かしそうに彼女は笑う。そうやって笑うと、子供っぽく見える。前そのことを指摘したら、彼女は真っ赤になって怒った。そんなところも、子供っぽいんだよ、と言おうと思ったけど、さすがにそんな恐ろしいことはできなかった。
 美坂栞北川潤の後輩に当たる。当たるだけだ。実際の大学関係ではほとんど縁はないから、俺の実感としては高校時代の親友の妹と言った方がしっくりくる。キャンバスで時々出会っては、暇な時間を見つけて適当な喫茶店に乗り込み、色んなことを喋って、笑って、別れる。普段の生活に影響を与えることのない気楽な関係を俺は気に入っていた。なんていうか、凄く軽い。変な意識をしなくていい。
「やってみる?」
「え?」
「輪唱さ。俺、例の静かな湖畔の〜♪」
 実際に歌ってみるとちょっぴり恥かしかった。でももう少し歌ってみる。そして、ぱちり、と栞ちゃんにウィンクをしてみた。
「静かな湖畔の森の影から〜♪」
「もう起きちゃいかがとカッコがなく〜♪」
 栞ちゃんの姉が見たら、この光景になんとコメントしただろうか。笑って見ていたか、あきれたようにその場を立ち去るか、それとも凍りついたようにその光景を眺めているか。
 笑ってくれてもいい。立ち去ってくれてもいい。素直に、そう思う。

 俺が美坂と別れたのも、もう二年も前になる。
 ふとそのことを思い出すと、店中のガラスを叩き割ってしまいたいような、そんな衝動に駆られる。

            /

 俺が美坂と付き合いはじめたのは突然のことだった。
 なんだかこんな風に思うのは馬鹿馬鹿しい。何事も始まりは突然なものだし、突然でなく付き合い始めるなんてどんなことなのかよくわからない。でも、俺は突然と言う言葉をつけずにはいられない。
 俺が美坂に告白したのは、あいつの家のベッドの上で、そして二人とも裸だった。つまり、そういうことだ。ちなみに、俺はそれが初めてだったし、あいつもそうだった。俺があいつを押し倒した形になるけれども、美坂のほうが誘っていたのだ、今としてみれば思う。健全な男子高校生が、好きな娘のバスタオル一枚の姿なんて見たら、飛びつかないほうがおかしいと思わないか? 思わないならば、ソイツはちょっとおかしい。
 事後承諾のような告白を美坂は受け入れた。でも、その声はとても小さくて、震えていた。そのときは緊張していたからだと思ったけれども、それは本当は違ったのだろう。俺は、それに気がつくのが遅すぎた。
 今思えば不自然な交際だった。俺達は様々な場所を訪れて、美坂は笑い、俺も本当に楽しかったけれども、けして唇を交し合うことはなかった。清い交際と言えば聞こえがいいけれども、その時点で俺達はもうヤっちまってたんだから、それも出来の悪い冗談にしかならない。でも、その時点でも俺は美坂が恥かしがっているんだろうなんて馬鹿なことを考えていた。美坂が俺のことを名前で呼んでくれないのも、恥かしいんだろうな、と思っていた。そのことで美坂をかわいいとすら思った。そのときの俺はどうしようもなく馬鹿だった。
 別れ話を持ちかけられたのは、三ヶ月ほど付き合った後、三年の秋のことだった。高校の屋上に呼び出された俺は、突然別れようといわれて、なんと言っていいのかわからなくなった。俺たちうまくやってきたじゃないか、と説き伏せるか。俺に落ち度があったなら謝る、香里、だからやりなおさないか、と謝るか。それとも、ただ謝り続ければよかったのか。
 本当は、肯けばよかったんだ。そうだな、別れよう、と。
 それも、今考えれば、の話だ。そのときの俺はまだなにも気がついていないで、美坂が謝り続け、しまいには泣き出すまで、まともなことを何も言えずに、ただうろたえていた。
 それで終りだった。
 俺は、香里の、いや美坂の何になることも出来なかった。手助けにならなかった。重荷にすらならなかったのだと思う。
 結局、美坂の心のなかにあったのは、栞ちゃんと相沢のことだけだったのだろう。

            /

 喫茶店を出ると、遠くからかすかに音楽が聞こえる。パレードの音楽だ。ここから見て太陽のある方向――つまり西――にはテーマパークがあり、そこは月に何回かのペースでパレードを行う。メインの花火などは夜だけれども、この時間帯になるとヌイグルミを着た一団はもう道をゆっくりと進み始めるのだ。
 一度だけ、サークルの知り合いを連れてその光景を見に行ったことがある。時期が悪かったせいなのかあまり見物客がいない道を、赤く染まった一団が通り過ぎていく光景は、子供向けの絵本のように見えた。大人が見ると、笑えないどころか、どこか懐かしさすら感じる眺めだ。
 そんなことを栞ちゃんに話すと、彼女は夕日の光を避けるようにうつむきながら、こう言った。
「寂しいですね」
「そうだったのかもね。人もいなかったし」
「あ、そうじゃなくて……なんていうんでしょうね、うまく言えないですけど……。うーん」
 栞ちゃんは歩きながら考え込んでしまった。その姿を見ていると、なんだか子供が難しい問題を必死に考えているのを眺めているようで、微笑ましい。俺はその姿を見ながら、遠くから聞こえてくる音楽に耳をすませた。
 街は、たいして人影もない。このあたりではこの大学と隣の駅のテーマパーク、それに若干の商店街くらいしか存在しない。学生街にテーマパークが足されたようなものだ。大学が終わって随分と時間がたつ今では人がいるはずもない。人気のあまりない道を歩くのは、涼しくて、静かで、気持ちがいい。
「あ」
「どうしたの?」
「あれ」
 栞ちゃんの指差した先で、風船が浮き上がったように見えた。よく見ると、風船の下には呆然とした顔の女の子が空を見上げている。赤い風船は夕焼け空に溶け込むようにふわりと浮かび、そのまま傍にあった木に引っかかった。
 栞ちゃんは、女の子の方へ駆け出した。慌てて、俺も早足で追いかける。
 俺が二人の所についたときには、少女は頭を撫でられて、なんだか嬉しそうな顔をしていた。栞ちゃんがゆっくりとした口調で話しかける。
「大丈夫だからね」
「うんっ」
「じゃあ、お姉ちゃんが行ってくるから、ちょっと離れてみててね」
 そう言うと、栞ちゃんはにっこりと笑った。
「って、どうなったの?」
「わたしがあの風船を取りに行くことになりました」
「は?」
 俺が見上げると、風船はかなり小さく見える。落ちたら危険な高さではないだろうか。しかも、栞ちゃんは上はキャミソールの上に一枚羽織っただけ、下は膝まであるスカート、ととても木登りに向いた服装には見えない。というか
「見ないでくださいね」
「いや、それ以前にそれじゃ、引っかかるだろ? 小枝とか、スカートにひっかかったら破れちゃうよ」
「じゃあ、このままこの子に泣いてろって言うんですか?」
 栞ちゃんが強い口調で言う。
「そういうわけじゃないけどさ」
 本当なら、俺が登る、とかいえれば格好いいのだけれども、その自信を持たせてくれないところまで風船は上がってしまっている。そんな俺と栞ちゃんの様子を見ていた女の子の目はまた潤んできている。栞ちゃんは駆け寄って、その頭を撫でて、にっこりと笑うと、再び木のところまで戻った。そして、その枝に手をかけて、俺の方を見た。
「出来れば、落ちたら支えてください」
「無茶言うなよ……」
「出来れば、です」
 そう言って、栞ちゃんは木をおっかなびっくり登っていく。その手つきは俺から見ても、手馴れてないもので、俺はいつ落ちてきても大丈夫なように、真剣に上を見つめていた。落ちてこられてもどうしようもない気がするけれども、いないよりはマシだろう。やって悔やめ、だ。
 ゆっくりと時間をかけて、栞ちゃんは木を登っていく。最低三箇所に体重を預けられる状態で、手、あるいは足を伸ばして次の拠点を確保する。そこを確保したら、また違う場所へ手足を伸ばす。その繰り返し。いつのまにか、木のまわりにはたくさんの人が集まっていた。俺と同年代の学生、ランニング中のオヤジ、親子ずれ、体操着姿の女子中学生の集団。オヤジは少なくともスカートの中を気にしているだろうな、と思う。
 栞ちゃんが風船まで到達した時、随分と長い時間がたったような気がしていたけれども時計を見るとまだ10分程度しかたっていなかった。栞ちゃんは腕に風船の紐を結びつけて、木を降っていく。
 なんにでもいえることだと思うけれども、上がりよりも下りのほうが難しいし、怖い。落ちる方向に向かって進んでいるのだから、当たり前だ。下から見ている俺にも栞ちゃんが怖がっていることは伝わってきた。足場を確保しようとする手足の動きも慎重なものになってている。まわりで見ている人間の緊張が俺にまで伝わってくる。俺は静かに手足を揺らしてほぐす。できるだけ、早く対応できるように。
 たぶん、それが役に立った。
「あっ」
 小さな声をあげて落ちていく栞ちゃんに、まっさきに対応できたのは俺だった。空中でかっさらう勢いで栞ちゃんに飛びつき、その体をぎゅっと抱きしめて、そのまま地面に叩きつけられる。背中に衝撃。口から息が押し出される。むせている俺を見て、栞ちゃんは大丈夫ですか? と言った。
「まぁ、生きてる」
 冗談にもならないようなことを言って笑った時に、まわりから小さな拍手がまきおこった。見ると、風船救出劇の観客達が皆手を叩いて、ヒーローとヒロインを祝福していた。お辞儀をしてみせるか、見せ付けるようにキスでも出来れば、最高潮に盛り上がったのだろうけれども、そんなことができるわけもなかった。
 観客達が段々と自分達の世界に戻っていくなかで、栞ちゃんは女の子に風船を手渡した。
「もう手を離しちゃ駄目だよ?」
 そう言われて、女の子は黙ってこくりと肯いていた。まだ見ている人が数人いたから、恥かしかったのかもしれない。そのまま走り去っていく小さな後姿を、赤い風船がゆっくりと追いかけていく。それを見ながら、栞ちゃんはふぅ、と息を吐いた。
「怖かった……」
「もう、ああいうのは勘弁してくれよ。今回、たまたまうまくいっただけ、なんだからさ」
「はい、すいません」
「……ま、いいや。そろそろ行くか? そろそろいい時間だろうし」
 栞ちゃんははい、と答えた。「よくやったーっ」と褒め称える中年のオヤジの声に手を振り返しながら、俺と栞ちゃんはその場を後にした。パレードの音はますます強くなっている。それを聞きながら、ぼんやりとした顔で栞ちゃんは呟いた。
「なんか、わかりました」
「何が?」
「何が寂しかったか。さっきの、北川さんのパレードの話です」
「ああ」
 俺も半分忘れかけていた。だが、言われると興味がわく。
「なんでなの?」
「……って言うんですか?」
「ん?」
「えーっと、パレードだったら、人を楽しませるためにやってるわけじゃないですか。あのトランペット吹いてる人も、きぐるみの中に入っている人たちも、花火上げてる人も、花火を作ってる人たちも、あの遊園地を作った人たちも来る人に楽しんでもらおうと思ってあのパレードをやってるわけですよね?」
「まぁ、そうだな」
 本当は、それほど単純ではないのだろうけど。
「でも、そうやって、たくさんの人が頑張っているのに、それで楽しんでいる人は誰もいない。――だから、寂しいんだと思うんですよ」
「なんか、わかる気もするな」
「さっきの風船もそうです。あの女の子に喜んでもらえないで、あんなところにあったら寂しいです」
 そう言って、栞ちゃんは振り返った。曲がり道の向こう側に、まだ赤い風船と小さな女の子の姿がある。それは夕焼けに消えていきそうな、どこか胸を締め付けられる眺めだと、俺は思った。
「寂しいですよ」
 そう栞ちゃんは呟いた。夕焼けに染まった横顔も寂しげなものに見えた。栞ちゃんがはかなくて脆いものに見えるのは、こんな瞬間だ。
 しばらく並んであるいていて、ふと栞ちゃんが立ち止まった。俺が振り返る。
「ところで、北川さん?」
 俺の方を見た栞ちゃんは、にっこり、と笑った。
「スカートの中、見ました?」

 俺が絶句したのは、言うまでもない。
 その後一週間ほどそのネタでからかわれたのも、いうまでもない。