なぜSSを書くか。

 この問いに答えようと、大昔色々と考えた事がありました。そのときに出た結論は「んなこと、どーでもいいじゃん」でした。現に自分は書きたいんだし、その関係の付き合いもあってそれが楽しいんだし、何の問題があるんだろうか。様々なSS書きさんがどーであるべきだーとか熱く語っているのに影響されかけましたが、そんなもん無視無視、でいいんです。そう結論を出した俺は、考えるのをやめて、そんな質問は随分と長い間忘れてしました。
 でも、その質問にもう一度直面させられるようなことがありました。
 http://homepage1.nifty.com/hirokata/index.htmlのBBSの9/5の宏方さんの書き込み、あとそれへの酔狂さんのレスでした。そこでは、宏方さんと酔狂さんは「今を生きる読者の人生をどれだけねじ曲げられるかの真剣勝負が重要」だ、と語っています。*1
 そこで、ふと気が付いちゃったんですよね。
 あれ、俺、なんのためにSS書いてたんだっけ、と。そして、色々考えているうちに、昔とは随分とその質問の意味も変わっちゃったんだな、ということに気が付きました。
 昔は、未熟でした。ひたすらに。自分がどういうSSを書きたいのか、どういうものを書いているのか、なにを狙っているのか、あるいは何も狙っていないのか――そんなこともわからないで、ただがむしゃらにSSを書いていました。ついでに、そのころは若かった。熱意もあった。ただそれだけで満足でした。
 でもまぁ、まだまだ若輩の身ながらもSSを書き始めてから時間がたち、自分が書きたいものがどういうものなのか、ということがわかる程度には見極めの力がつきました。SS自体の能力も、それなりにあがって、ある程度のものならばかけるようになったと思います。――それなりにテーマを消化できるくらいなら、という意味で。全然たいしたもんじゃないですが。
 つまり、「なぜSSを書いてるの?」という問いは、その答から生まれる道を導くためのものになってしまったわけです。その答えによって、書くべきSSは異なってきます。たんに楽しむためならば、その場合場合によって適当に疲れない程度に書き流せばそれでいいです。酔狂さん・宏方さんのように人生を捻じ曲げることが必要ならば、自分の書きたいものを見極めをもっと詳細におこなって、魅せる為の構成も考え、どうテーマをかたれば受け入れてもらえるか、そして何より自分はどんなことを伝えたいか伝えられるか、そんなことも考えて書かなければなりません。
 さて。
 「なぜSSを書いている」んでしょうね。俺。他の人にも聞いてみたいですが。ついでに、あなたのSSはそのために最適なようにかかれていますか?とも聞きたいですが。
 昔の答えは、それなりに参考になります。まず、まわりとの付き合いがあります。これは、実は最重要です。現在特にぜっっったい書きたいものがあるわけではなく、そして書くことが人生で一番好きというわけではない俺にとってはかなり重要な動機になってきます。たとえば、ぶるま組の掟として、SSを出さないと受けキャラになってしまうのです。――まぁ、それは冗談ですけど、SSを書いたり読んだりしないといにくいしいられないコミニュティですよね、ここは。当たり前だけど。んで、そこにいたい以上はある程度は書かないといけません。最近書いてないけどさ。
 書きたいものがあるときは、それが理由になります。書きたいから書く。それが悪いと言われるロジック(原作無視だ!、等)はあんまり気にならなくなりました。大体、自分はそれほど原作から逸脱するタイプでは無いことが判ったので。最低限の礼儀を守ります。それが逆に原作ファンの気に触る方向に行ったりすることもあるようですが*2
 あと、もう一つ大きな理由があります。俺は、昔のSSに大きな借金をして、まだそれは借りっぱなしなのです。『自殺日和』。この作品を書いたおかげであの頃の俺は随分と救われました。でも、この作品に落とし前を俺はつけられていない。この香里をどこへも導けていません。俺は、絶対に、それだけは守らないといけないと思うんです。昔の自分への礼儀としても、この香里さんへの礼儀としても。昔2・3度、この香里さんのためのプロットを練ったことがありましたが、どれも結局没にしてしまいました。だから、このSSの完結篇を書くまでは、何かを書くことをやめてはいけないんだと思います。死が魅力的なものだとしても、なぜ生きなければいけないか。生きなければいけないならば、どう生きればいいのか。宮台氏の強度あたりの理論とロストマンの歌詞あたりをモデルに色々と模索してみたりもしますが、イマイチ結論は出ません。社会にも出てない若造にそんなものが出るはずもない、というのは肯かされるばかりなのですが、それでも俺は書く義務があると思うのです。
 と、そんな理由を見つけたあたりで、大体自分のとるべき道は見えてくると思います。適当に書きたいものを書き散らしてUpして、でも『自殺日和』を完成させる物語を書くための修練も怠らないようにしておく。そんな所でしょうか。あとは、『自殺日和』を書くためのSS以外の部分での経験も必要ですけど、まぁ、それは難しいので色々手を出してみる、くらいしかないです。
 宏方さんへの答えは「ダダイズムでもいいと思います」ということになるんでしょうか。別に絶対に伝えたいものでもないものを伝えて、読者の人生を揺るがさせる必要は無いと思います。そういう作品は、別の場所で書いてもいい。俺は宏方さんほど厳しくないので、ネット上に載せる作品の最低基準は相当低いんです。宏方さんのスタンスは尊敬しますけど。読者としては嬉しいですしね。そう考えれば、ダダイズムも技術を磨くためという風に正当化できますし、一時期の俺はそんなことを口走っていました。最近は口走れるほどSS書いてないから、なにもいえませんけど。ついでに忘れてたし。
 でも、同時に読者の人生を揺るがさせる作品も書きたいです。もっと言うならば、『自殺日和』を書いた頃の俺と似たようなガキの人生を揺らせるような作品が書けたら、と思います。
 ――まぁ、本当にそれを狙うならこんな老成したジャンルはとっとと抜けて、ジャンプ系ヤヲイの世界で書け、という話ですが*3、借りがあったり付き合いがあったりで、そういうわけにも行かなかったり。
 なんていうか、反応して頂いてありがとうございました。おかげで、色々と考えられました。感謝、です>宏方さん

*1:酔狂さんの目的がそれならば、俺はまんまとそれにはめられたことになります。『Wonder Girl』を読んだせいで「こういう話もいいな」と思い、天國茶房の創作掲示板を読み漁り、読み漁ってもわかんないことに嫌気がさして、柄にもなくライトノベル以外にも本格的に手を出すようになり、批評も読み始めるようになり、そのままずるずるそっちに流れてイっちゃったわけですから。やられた。でも、酔狂さんの目指した方向性とは違う気もする

*2:『はやく昔になればいい』、とかね。でもあれ、本気で茜のデストピアSSだと自己評価してるんだけど

*3:明らかに平均年齢的にも、嗜好思考的にもあっちの方が自殺志望者一歩手前、みたいな人が多そうだ。